ミアレシティの夜は、雨上がりのアスファルトが街灯を映し、まるで星をちりばめたようだった。
「……よし、一旦帰ろうかな」
チケットポイントがある程度貯まったので、アヤはホテルに戻ることにした。
昼間とは打って変わって静まりかえった夜の街を歩きながら、近くのタクシーへと足を向ける。
深いブルーの車体をしたタクシーの前に立っていたのは、落ち着いた雰囲気の男性だった。
「毎度ミアレタクシーです。どこでも710円ですが乗っていきますか?」
その声に、アヤは自然と口を開く。
「はい、それでは……」
──そこで、ふと目が合った。
(えっ……この人、ザックさん……!?)
そう思った瞬間、アヤの言葉が止まる。
声も、思考も、ほんの一瞬だけ凍りついたようだった。
「おや、どうしましたか?」
と、男性──ザックが首をかしげる。
だが、その表情に気づいた様子はない。
アヤは胸の奥を抑えるようにして、ぎこちなく笑った。
「いえ……なんでも……ホテルZまでお願いします」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
静かにドアが開き、アヤは乗り込んだ。
「では、出発いたしますね」
タクシーが発進し、夜のミアレシティの景色が流れ出す。
****
アヤは窓の外を見つめながら、声の主──ドライバーの姿をちらりとミラー越しに見る。
(……やっぱり、そうだ)
やはり彼はつい先日対戦したザックであった。
アヤにいまだ気づいていないようで、ふと話題を振ってくる。
「ホテルZ……最近はZAロワイヤル関係の方が多いですね。お客さんもその関係ですか?」
「ええ、そうです」
アヤは相槌を打った。
「最近のランク戦、激しいみたいですね。ニュースで見ましたよ。昨日はFランクで驚きの逆転劇があったとか」
「わたしはそれより下のランクですから……そこまではまだ……」
「へえ、それは意外です。話し方が落ち着いているから、てっきりもう上の方かと」
「……あの、ちょっといいですか?」
「どうしましたか?」
アヤは一呼吸置いて、言葉を選ぶように口を開いた。
「わたし……つい最近、あなたとバトルしましたけど……覚えていませんか?」
運転席の男の肩が、ぴくりと動いた。
「……え? つい最近、というと……」
ザックは慌ててミラーを覗き込み、目を丸くした。
「あなたは……アヤですか!?気がつかず本当に申し訳ありません……!」
「いえ、大丈夫です。あの時と見た目も服装も違うし、パッと見た感じでは気づかないと思いますから」
「いえ、それでも……お恥ずかしい。あの時、ちょうど通算100敗目でしたので……呆然としてその後の帰路も覚えてないくらい記憶が飛んでいたとはいえ……すみませんでした」
ザックは申し訳なさそうな声色で話す。
「……あなたって不思議ですね」
「え……?」
アヤは微笑みながら、まっすぐミラー越しの彼を見ている。
「わたし、あの時……あなたが楽しそうにバトルしていて、いいなって思ったんです」
「ポケモンと一緒にいられる時間が、すごく大切そうに見えて」
少しの沈黙のあと、ザックが穏やかに返す。
「……そうですね。わたしにとって、ポケモンと過ごすことは、仕事とはまた別の大事な時間でもあるんです」
そう言ったザックの声は、先ほどよりわずかに柔らかく聞こえた。
アヤは少し目を見開いて、それから微笑んだ。
「……いいですね、そういうの。わたし……とても好きです」
そう言いながら、アヤはまるで自分の中の何かが少し温かくなったように感じていた。
ザックはその言葉に、目を細くして微笑むだけだったが、ミラー越しに見えたその表情は、確かに嬉しそうだった。
やがてタクシーが、ホテルZの前に滑り込むように停まる。
「ホテルZです。料金は……710円をお願いします」
「はい。……どうもありがとうございました」
アヤは小さな財布を取り出し、お釣りのいらないように渡すと、ドアを開けかけて、ふと振り返った。
「…また利用しますね。あなたのお話、とても楽しいし……もっとたくさん聞いてみたくなりました」
驚いたように目を見開いたザックは、すぐに表情を和らげて微笑んだ。
「ええ、またお待ちしています。キミのポケモンのことやZAロワイヤルの話も……お聞きしたいので」
そして、ホテルへの帰路へ着いていく。
残されたザックは、バックミラーをぼんやりと見つめながら、ひとり呟いた。
「……なんだか、不思議な子だったな」
けれどその声は、少しだけ楽しそうだった。
──この夜が、ふたりの始まりだった。
静かなエンジン音と、やわらかな灯の中で。
お互いの心に少しずつ灯りがともり、何かがゆっくりと動き出すような──そんな夜だった。